終わり始まり…これからも一緒に!
新たな始まり…
新年の年明け、新たな始まり!
平成最後の年が明けましたね!
改めまして、
新年明けましておめでとうございます。
健康で幸多き年を迎えてくださいね〜
年明けのご挨拶で幕開けする今!ここ…というこの瞬間、
世界各地時差はありますが、世界共通の挨拶ですよね!
新たな一ページが開かれるこの瞬間というのは、
何か終わりがあるから、新たなページが開かれるのですよね〜
また、何か興味があったり、夢や希望…そして、目的があることで前に進む意気な図らいで、気持ちがページを開かせてくれたりもします!
その気迫というか、思いというか…その気持ちは、なんとも表現できないワクワク感だったり自信だったりする。
すべてが満ち溢れてイキイキしています!
普段より見た目も、スッキリとしていたり、シャキッ!カッコよく見えたり…
意気に感じてイキイキと…
気持ちが明るく自信漲るオーラが漂っているのですね〜〜
だから、そういう人の側に居ると安心したり、勇気や自信をもらったり、背中を押してもらったようにも感じたり…
何故かいつの間に、自然と人が集まっていたりするんですよね〜〜不思議と!
なぜ、そのような話をするかというと…
一昨年前まで私自身、会社を長年経営していてある日突然、
脳梗塞の病いに倒れ身体が麻痺して動くことができなくなる事態が…
また、ことばも失い…自由が効かない事態になりました。
突然とはいえ、まさかの事態と展開に何もするすべもなくなり…気持ちは焦りと不安、居た堪れないもどかしさが走り…それが勝手に前に前に走り進んで行くのです。時間を度外視して!でも、身体は何も一歩も動いてはいないのです。
頭の中では指示が伝わらない苛立ちと、
「今はこの様な事態になっているから安静にしながら、ゆっくりしないと!」と言って、いい聞かせている第三者の様な自分も同時に存在しているのです!
結局、入院は長丁場に。会社は社員が試行錯誤しながらも運営。職員には感謝しても感謝しきれない思いです!ありがたいです。
しかし、限界が…。そして、決断の時が…。
病気療養の為、会社と運営事業所をすべて整理してリセット!
あ〜人生終わったって!思った瞬間でもある。
その後も、自宅療養しながらも頭の中では、
どうすべきか⁈
どうあるべきなのか?…と
走馬燈のようにグルグル思いが脳裏を巡りめぐる!
焦りと不安と寂しさと悔しさ…気持ちの中で錯綜する日々が続いて、
時間が止まってしまった感もまた気持ちの中にあり…
でも、時間は時間通りにいつもと変わりなく動いているのです。
過去に戻ろうにも、過去はそこにはなく…
荷物ベルトコンベヤーの如く、何もしなくても前にただ進んでしまう…
どこかに捕まえて立ち止まろうとしても、勝手に前に進んでしまう…
そんな状態は、なって経験体験してみないと分からないところなんだょなぁ〜
そんな時、我に戻り
現実を身も心も一つとなって理解するには、
一人の力では何もできない事も…
次第に理解する様になるのですね。
時が気持ちを変容と誘うのかもしれない。
我の中にいる第三者!が現実に必要なんです。
身体を支えて回復に力をかしてくれるリハビリスタッフだったり…気持ちを受容し引き出してくれる心理のスタッフ…その現実を受け止めて同じ時間を共有してくれる家族や友人知人…その他の方々の心温まる気遣いだったりする。
まさに伴走者ですね!
その甲斐あり、有難い事に身体もことばも完全に回復して復活しました。
すべての関わってくれた方々に感謝しかありません。
今思い返すと
どうすべきか?どうあるべきか?という、
自問自答が気持ちを焦らせガード…
心の中を無意識の内に結界を張ってしまっていたんだと…
無意識の我の知らない内にgearを握り
アクセルを踏んで動いたり、ブレーキをかけて止まったりする…
衝動的な動きがコントロール不可能になり、これが厄介なんですよね〜
理解して意識に変えていく事で…
次第に氷が溶ける様な変容が、無意識の衝動的な動きを鎮め調和していく様です。
ボディも感覚がなくなっていたので、
体幹のバランスが取れずに重心が後ろに倒れしまう!
それを理解していくと poco a poco !…
イタリア語(音楽用語)で、少しずつ、一歩一歩という意味。
車椅子からウォーカーへ…そして四点杖、一本杖へ…壁面に身を寄せながら歩む
そこには、過去にサヨナラ!過去を断ち切り、前に進む気持ちを築く(気づく)までには時間がかかりました。
友人から…
過去を嘆き悲しむ今よりも、今を変えようとする未来への意志!
…というドラマの1シーンのセリフらしいですが、そのことばをくれた!
生き甲斐を感じました…
また、別な知人は…
踏まれても根強く忍べ道草のやがて花咲く春来るらん!
…と語ってくれました!
周りには、そんな気遣ってくれる家族や友人知人が居るのだ!
と改めて身近な存在に気づき、新たな感謝と始まりを感じました。
そして、意のまま移動手段の車の運転の習得!
不安と新鮮な気持ちで練習をやっとのことで克服!
家族や友人、知人が通い寄り添ってくれたおかげで、社会復帰の1ページを開くための感(勘)を戻すキッカケを気づかせてくれました。
音楽療法という仕事…
私の仕事は音楽療法として、音楽を利用して心身の健康や機能回復、気持ちを保護するのではなく、気持ちを汲み取り勇気与えて音楽の力をアプローチする地味な仕事!をやっています。
そんな私を気遣って、音楽家の仲間が私の気持ちを快く受け入れくれ、尚且つ音楽療法の現場に参加して一緒に音楽を食してくれました。
食して味わい…旨味に酔いしれて、
音楽という食材の素晴らしさを改めて感じ実感したようです。
まさに、音楽を利用方法(音楽療法)として活かしたのです!
現場では、こどもらが音楽を通して様々な気持ちの変化を通し、
回を重ねるたび自ら改善策を講じて、『よかった探し!』に参加してくれました!
『しまった探し!』がないと『よかった探し!』は存在しません!
学校に来れなかった事が、
これらの関わりで友達の輪の中に入れる様になったとか、
給食が食べられない子が、
みんなの中でゆっくりながら給食を食べる事が出来るようになったとか、
場面緘黙で言葉を発する事が出来なかった数年が、
活動を通して自分自身の自分の思いを発声言語として無意識の内に伝えられたり…
何でも勝手に取ってしまう子が、
ごめんなさい!と物を返しに来たりしたとか…
こどもの心の隙間に光見せる事ができた事が嬉しかった!
こどもらの満遍な笑顔に和まされているのは、私自身なんだけど…
これが、私のやるべき事なんだろうなぁ〜〜って!
私もこどもと同じように、形にこだわる事なく、束縛される事なく、関わりに自由でいきたい、いや生きたいのかもしれない!
そういう在り方が自分らしいのかと思ったりする…
素直にいいね!って、
TwitterやFace Bookの様に語り!つぶやいて!いたいのだけなのかもしれない!
そばに居るからって…寄り添ってあげる、それが自分なんだって!
出来ないことはできる人がやればいい!
出来ないことで頑張らないでいい!
出来ることをとことんやればいい!
周りを気にせずやればいい!
いつも周りに居る人を信じればいい!
信じたら信じ尽くせばいい!
信じたその人たちに任せればいい!
そして、自分の隙間に光当てればいい!
それは、お願いすることから始まればいい!
ありがとうの一言から繋がりまた始まればいい!
繋がりは必ず信じていれば絆になる!
絆は繋がり誓いとして歌えばいい!…
雲は流れ 星空が 今日の終わり教えてる
変わり行く世界の中で 変らないものを捧ごう!
口笛吹いてる子供たちも やがては大人に近づいて
変わり行く世界の中で 変わらないものを歌おう! (Rake誓いから引用)
それが自分らしいのかなぁと…
それに気がついたのが遅ばせながら、善かったに転じたのかもしれない!
これもまた、自分流の音楽療法だったのかもしれません!
終わり始まり…
これからは、前を向いて、上を向いて歩くだけ!
関わるすべての人たちと、
手を携えて築き(気づき)あい、
ハグし気持ちをクミ(汲み)とると勇気を与えてくれる!
それが、自らのハグクミ(育み)として生まれ変わるのだろう。
今度は、自分が関わり寄り添える!
君のそばに居るから…と
…これからも一緒に! naruf
友人が作った楽曲が支えになった!ありがとう!
みなさんにも聞いて欲しい一曲!繋がろう未来へ…